前回の続きです。
大量に昔の写真が見つかったので、今回もそれをネタに話を続けます。
学生時代に山に登って写真を撮る、ということにハマっていました。
今回はその時に撮った日高山脈の写真でも載せようかと思います。
とは言え、登山記録が残っている訳でもなく、30年も前の話なので、かなり記憶は曖昧です。
そもそも日高山脈は、当時は標識がほとんど無いという山域で、写真を見返してみても何が写っているのか判断しかねる事が多くあります。特に日高山脈に精通している訳ではないので、山の形を見てパッと名前が分かる訳ではないですから。
写真撮りっぱなしで、全然整理してなかったのが、今になって悔やまれます。
ですので、これから写真を掲載していきますが、説明と写真があっていない、もしくは名称が違う等でてくると思いますが、その点をご了承ください。ただ単に昔を偲ぶという個人的な感傷のための記事です。
まずは幌尻山荘。この時は、7月下旬だったと思いますが、宿泊者は単独行の自分以外は、2~3人の3パーティーくらいで、全部で10人に満たなかったと記憶しています。ネットで調べてみると、今では登山ブームも相まって、予約制で定員46人がいつも満員のようですね。
写真をクリックすると少し大きくなります。ネットで見ると今は有志が作った標識が山頂にあるみたいですが、当時は幌尻岳以外が標識が一切ないので、エサオマントッタベツ岳の山頂であろうという推測です。
多分、エサオマン・札内・カムエクの分岐点あたりから。
写真をクリックすると少し大きくなります。360°。
登山道にハイマツの枝が覆いかぶさっていて、一見道が無いようにみえますが、踏み跡はしっかりしています。
誰もいない。サイコー!
1970年の福岡大ワンダーフォーゲル部がヒグマの襲われて3名が亡くなる事件がありました。そのレリーフです。
次の日から雨になり、3日間テントでゴロゴロしていましたが、さすがにそろそろ不味いかもと、天候は回復しないままですが出発しました。
当時の札内ヒュッテ。最近のはどんな状態だろうとネットで調べてみましたが、検索に引っかからず。代わりに札内川ヒュッテというのが検索に挙がります。建て替わったのだろうか?
あと最後に。この記事を作成するにに当たり、確認がてら既存の他の山行ブログなどをいくつか拝見しました。そこでの感想です。
日高では1週間くらい山中に籠っている事もありますが、ヒグマの糞は時たま見かけますが実物は一切見かけず。
よく他の山行記録のブログにあるものに「ヒグマの痕跡が…」とか、「ヒグマを発見した…」とかやたら騒いでいるのを見かけますが、ヒグマは低山帯にだっている、北海道の至る所に居るって。なんか、ヒグマがいる危険地帯を走破している勇敢な俺、的なアピールが鼻について、こういうのはいただけないと思いました。
そもそも、元はヒグマの生息地に人間が勝手にお遊び目的でズカズカ踏み荒らしているだけなのに、それを棚に上げて危険物扱いにしているのは、横暴といえるでしょう。謙虚にいきたいものです。
さて、これで一応、終わりです。
当時の写真をデジタル化するためスキャンしたのですが、メチャクチャ大変。
まだ処理しきれないものが多数あります。また、その内、整理がついて良さげなのが出てきたら掲載します。